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姉が死んだ

姉が死んだ。

東京で生まれて、そして大分で死んだ。早春の旅立ちみたいなひっそりとした葬儀。

死ぬまでずっと愛してくれた伴侶に恵まれた姉の人生は、全然セレブなんかじゃなくても平凡な幸せに満ちていたんだと思う。

義兄からの一通の喪中ハガキ、そんな小さなハガキにさえも、愛がこもっていた。

義兄が姉と結婚するとき、一日に二回もお見合いを掛け持ちした義兄が、姉を一目見て、「さっきの見合い相手より美人だった」という感想を持って、そして一も二もなく、姉を選んだ。

義兄は、人前でも姉の着物の帯を結んでくれたり、姉の入院中は献身的に看病して、尽くして尽くしてまるで映画やドラマみたいに「ただ一人の女を愛した一生」を地でいっていた。

人間は、人を激しく愛する為に生れてくる、そして、穏やかな愛の中で死ぬ。

それが生きる究極の目的には違いない。
# by KANAM23 | 2010-11-27 23:55

安っぽいよ

M.クランのコートを買った。
ダブルのデザインが好きだったし、いくら冬でもただの防寒着じゃない。ラインがキレイに出るコートがイイって思ったから。そういうのってなかなかない。よその店で見た同じようなデザインでも、値段が半額くらいだとずっと「雑」な品質になっている。
最近コートばかり買っているけど、コレはストライクゾーン。
そして、ストライクゾーンに入るものってたいてい、M.クランだったりする。


キッズ?ってブランドのバッグを買った。
「のだめカンタービレ」で野田めぐみがいつも持っていたみたいな黒地に鍵盤入ったレッスンバッグ。
テキストを入れるのにちょうどイイと思ったから。
最近バッグばっかり買っている。

これ、しかし、両方ともブランド。一応、新宿伊勢丹で買ったんだから、そのへんの安物ってわけじゃないのが最近の自分らしくない。

ブランドなんかとっくに飽きていたはず。っていうか、いつのまにか、ノーブランド主義になったんだから、安物ばっかりが詰まった部屋に住んでいたし、安っぽい服を着て出かけていた。
でもやっぱり、安物は安物以上じゃなかった。

安っぽいコートはとにかく縫い方が雑。一度来ただけで、裾がほつれてきたり、ボタンが取れかかって糸が長く伸びてたりする。

安っぽいバッグは、形がいびつで、ついてる部品も外れやすくて色あせたりが速い。

これ、人間にも言える。安っぽい生き方してる人と友だちになるのもイイかと思ってる時期もあった。
でも、安っぽい生き方はやっぱりカッコよくない。
どうせ生きているなら、そしてたった一回の人生なんだから「丁寧に生きている人」がいい。

丁寧さを極めていけば、いつか、本当にカッコよく生きていける人になる。
# by KANAM23 | 2010-11-27 23:42

ロマン派演劇

十九世紀前半の演劇

未だフランス大革命の混乱から抜けきらない十九世紀初頭の劇場を満員にしたのは、メロドラマと呼ばれる芝居であった。

ピクセレクールらを代表的な劇作家とするが、メロドラマを「ジャンル」として民衆の間で確立することになった彼の作品はパリで1500回以上上演されヒットした。

大衆劇場で上演されるこれらのメロドラマは新しいクラスの観衆、「民衆」にわかりやすいものでなくてはならないとされ、「子供にも楽しめるもの」「罪のないものが必ず勝利することになり危険もない」

メロドラマを支えるものは芸術作品の道徳的有用論である。


問題はその善悪モデルの在り方である。ここでは、古典劇では到底表舞台に現れることのないマージナルな存在が脚光を浴びることになる。

多くの場合主人公は不当なシチュエーションに置かれた社会的弱者(無垢なみなしご少女等)である。

世紀初めのピクセレクールを代表とした作品群は三単一の規則の厳守等古典主義の性格を保っていると言えるのだが、メロドラマの人気が続くにしたがって作劇法は次第にシンプルさと秩序を旨とした古典主義的といえる美学を離れ、スペクタクルと大げさを売り物にしたものへと移行していく。
# by KANAM23 | 2010-11-26 09:56

アルフレッド・ド・ミュッセ

アルフレッド・ド・ミュッセ(Alfred Louis Charles de Musset, 1810年12月11日 - 1857年5月2日)は、フランスのロマン主義の作家。詩、小説、戯曲などを広く手がけた。その詩はうわべの抒情、表面的な憂愁に満ちていて、ロマン主義のもっとも軽薄な部分が出ていると言える。

サン=ドニで貴族の家系に生まれる。詩・芝居・小説など多くの分野で活躍。

1830年、戯曲「ヴェネチアの夜」初演で大ブーイングを受けた。これがきっかけで「読まれるための戯曲」(レーゼ・ドラマ)として読まれてきたが、20世紀に入って再び脚光を浴び、現在ではフランス演劇の重要な遺産と評価されている。

1833年から1834年にかけてジョルジュ・サンドと交際した。サンドとの苦しい恋から生まれた長編『夜』は恋愛詩としてばかりでなく、芸術家誕生の物語として読むことができる。

詩人は失恋体験を言語化してその傷から癒えていく。詩の救済作用が着目されているので、ミュッセは自然をうたう抒情詩人だが、言葉に対して自覚的なことがわかる。

1857年、47歳のとき大動脈疾患と過剰なアルコール摂取により、その短い生涯を閉じた。

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# by KANAM23 | 2010-11-23 11:19

三銃士

十九世紀にジャーナリズムが発達し作家が有利な職業になったころ、有能な歴史家らの協力を得てデュマによって発表された長編。富と名声の対象としての文学である。

『三銃士』には三人の銃士が登場するが、その仲間入りを願うダルタニアンのイニシエーションが物語の骨子をなす。

ダルタニアンは様々な試練を勇気と知力で見事に乗り越えて一人前の銃士として認められるのだが、読者はその成長に立会いながら、三銃士の友情の世界、リシュリィウ卿が牛耳るルイ十三世の宮廷の実情に接していく。

しかしこの物語が錯綜するのは、リシュリィウ卿が王女を失墜させる陰謀を企てそれにつれて王女の忠実な侍女コンスタンスとリシュリィウ卿の懐刀で絶世の美女ミレディとの確執が絡まってくることだろう。

『三銃士』は手に汗握る冒険物語だが、ダルタニアンが数々の危険を乗り越えて辿りつく先は、ごく平凡な日常であって、新しい世界ではない。

ダルタニアンのエネルギーは社会を変革する未来の方向ではなく、体制を維持する保守的な方向に使われいるように見えてならない。結局物語は単純な武勇伝に集約されてしまう。
# by KANAM23 | 2010-11-22 20:52